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アダムスキー坊や

アダムスキー坊や物語

ある秋の夜、愛媛県翠波高原のコスモス畑にミステリーサークルを造ろうとしている小型の空飛ぶ円盤があった。その小さな円盤は「アダムスキー型UFO」の幼児で、名前を“アダムスキー坊や”といった。

アダムスキー坊やはその日の午前中、両親(大型のアダムスキー型UFO)と共に地球へ“coco壱”のカレーを食べに来ていたが、両親は彼を置いて自らの星へ帰ってしまう。まだ一人では地球を飛び立つことができないアダムスキー坊やは困り果て、両親へのメッセージとしてミステリーサークルを造ろうとするのだが、そもそもアダムスキー坊やが置き去りとなった原因は、彼自身にもあるのだった。

両親はこの日、アダムスキー坊やのカレーにトッピングとして、強制的に納豆をチョイスした。これはアダムスキー坊やの納豆嫌いをなおすための教育で、大好きな“coco壱”のカレーと一緒なら嫌いな納豆も食べるであろうという教育者としての愛情でもあった。しかし、アダムスキー坊やは子供ながらにささやかな抵抗を示し、納豆だけをきれいに残してカレーを食べてしまう。両親は顔を見合わせて困惑したのち、「納豆が食べられるまで一人で地球にいなさい。お父さんとお母さんは先に星へ帰ります。納豆がちゃんと食べられるようになったら、合図(ミステリーサークル)を出しなさい」と、脅かすことでアダムスキー坊やが納豆へ挑戦することを願った。

しかし、アダムスキー坊やは泣いて許しを求めながらも、納豆を食べるのだけはイヤだと言い張って聞かない。押し問答の結果、両親も引くに引けなくなって地球を後にする。アダムスキー坊やはひとり地に残り、一日でも早く納豆が食べられるようになろうと決意した。しかし、“coco壱”で納豆カレーを注文する直前に、両親からお金を置いていってもらえていないことに気付いた。仕方なくアダムスキー坊やは翠波高原を目指し、小さな身体で懸命に合図(ミステリーサークル)を造ることになっ た…。

幼きアダムスキー坊やのその後の消息については、一部、誰も知ることのない空白期がある。一説には、両親が一度迎えに来たものの、アダムスキー坊や自らが拒み、納豆への挑戦を果たすまで帰らないと言い放ったとも言われている。

いずにしても、アダムスキー坊やは翠波公園を去った後、放浪の旅に出ることになった。翠波高原を下りて瀬戸内海に出ると、海を左にみながら沿岸部を東へと進んだ。いつしか丸亀競艇場に行き着いた時、子供心になぜか心が弾む感覚を覚えた。モーターの音、水しぶき、観客の歓声と熱狂…。やがてアダムスキー坊やは、丸亀競艇場に居着くようになった。

丸亀競艇場でのアダムスキー坊やはまず、専門紙売場に働くおねえさんたちと親しくなった。売場の釣り銭が少なくなると両替に行くなど、喜々としておねえさんたちの手伝いをしては、誉めてもらうことを喜んだ。もっとも、一時は両親と離れて暮らす寂しさからか、少し拗ねた時期があった。未成年ながら隠れて舟券を買うようになったのだが、窓口のおばちゃんに一度キツく叱られてからは、あまり窓口に近づきたがらなくなった。機械の扱いが苦手なために自動発券機で買うこともなく、自然と舟券に手を出さなくなり、間もなく笑顔のアダムスキー坊やに戻った。

今やアダムスキー坊やは「ていゆうニュース」のマスコットキャラクターとして活躍し、女子高生からも人気を集めている。いつの日か、ひとりで地球を飛び発てるように成長した時、アダムスキー坊やはどのような道を選択するのか…。最近ふいに、「ボクもいつかは賞金王になるスケ!」と言ったことがあった。舟券は、未成年の間はがまんすると言っていたが、競艇のレース自体は大好きなようだ。しかし、もっと大好きなのは“coco壱”のカレーで、たまに連れていってもらうと大喜びでカレーを食べる。友だちの悪ふざけで、こっそり納豆を仕込まれたことが何度かあったが、夢中でカレーを食べながらも、納豆だけはいつもきれいに残してしまう。アダムスキー坊やはまだ今のところ、地球を離れる条件を満たしてはいないようだ。